皆さんは子供2人をベビーホテルに預けたまま北朝鮮に拉致されてしまった田口八重子さんを覚えていますか?八重子さんは1978年に失踪&拉致されてから45年経った今も帰国できていません。綺麗で子供が大好きだったという八重子さんはどのような人柄で今現在はどこで暮らしているのでしょうか?
今回は、田口八重子さんの若い頃は美人で今現在は?長女娘と息子に生い立ちを調査していきます。
田口八重子の若い頃が美人!
田口八重子さんのプロフィールは以下になります。
名前:田口八重子(たぐち やえこ)
生年月日:1955年8月10日(67歳 2023年3月現在)
出身地:埼玉県川口市
失踪:1978年6月 新潟県(推測)
職業:キャバレー「ハリウッド」のホステス
別名:ちとせ(ホステス名)
李恩恵(リ・ウネ)
高恵玉(コ・ヘオク 朝鮮名)
北朝鮮による拉致被害者である田口八重子さんは2023年現在は67歳ですが、若い頃の写真を見る限りかなり美人な女性です。
八重子さんの顔は目鼻立ちが左右対称で、目がパッチリと大きく眉毛が整っており「美人の条件」に当てはまります。ネットで見る事のできる八重子さんの写真はモノクロですが、化粧をばっちり施したカラー写真だったらもっと人目を惹く美人だと推測できます。
Twitterでも八重子さんを美人だと指摘する声が多くみられ「田口八重子さんは美人」「田口八重子さんて美人だよね」「ニュースみるたびに思うが、田口八重子さんって美人だよねえ・・」などがあります。
八重子さんは失踪前、離婚して2人の子供を育てるために池袋のキャバレーで働いていましたが、美人だったこともあってホステスという道を選ばれたのではないでしょうか。
また大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫(キム・ヒョンヒ)の回想でも八重子さんは「目鼻立ちが大きくはっきりしていて西洋的な雰囲気の持ち主でおしゃれな印象」だと表現されています。
田口八重子の今現在
田口八重子さんは今現在67歳になりますが、どこでどのような暮らしを送られているのでしょうか?
八重子さんを含む拉致被害者は「朝鮮日報」(韓国の新聞)によると、数十人の韓国人とともに「平安南道(ピョウアンナムどう)平原郡(ピョンウォンぐん)元和里(ウォンファり)に住んでいると伝えられています。
ウォンファりのキャンプはもともと韓国に送られたスパイの訓練施設として使われていましたが、1990年代に北朝鮮がスパイを送ることが少なくなったため、施設は拉致被害者の収容施設に変わったようです。
田口八重子さんの今現在にいたるまでの経緯をまとめました。
■1978年9月~1979年11月 平壌(ピョンヤン)市内の招待所で暮らす
■1981年7月~1983年3月 大韓航空機爆破事件の実行犯である金賢姫(キム・ヒョンヒ)の日本人化教育係を務める
■1985年1月前後 忠龍里(チュンニョンニ)一地区3号招待所に横田めぐみさんと金淑姫(キムスクヒ・北朝鮮工作員)と同居する
■1985年末 忠龍里(チュンニョンニ)の一地区から二地区に移動させられる
■1986年 腰痛で915病院に入院⇒退院後3号で一人暮らしをする
■1986年7月~1991年10月 烽火政治軍事大学で講師を務めながら頻繁に脱出を試みる
■1996年 アルコール中毒だったため平壌(ピョンヤン)市順安(スナン)区域文化部所属の招待所で隔離され外出禁止とされる
■その後 平安南道(ピョウアンナムどう)平原郡(ピョンウォンぐん)元和里(ウォンファり)に住んでいる
田口八重子さんは今現在も北朝鮮の監視下で暮らしていると思われます。
田口八重子の生い立ち
田口八重子さんは、1955年に埼玉県川口市に四番目の末っ子として生まれました。
拉致被害者家族会の代表を務めていた飯塚繁雄さんは田口家の長男で、八重子さんとは17歳の年の差がありました。
繁雄さんは八重子さんが幼い頃にはすでに就職していて、じっくり話すことは少なかったそうですが父親が八重子さんを一番可愛がっていて、いつも膝の上にのせていたそうです。
また八重子さんはとても気丈な性格で何事にも屈しない精神の持ち主だったそうで、生活力のない夫と離婚した際にも、誰にも頼らず一人で独立してアパートを借りてホステスをやりながら子供2人を育てていたそうです。
繁雄さんの妻が家で子供たちの面倒をみるから昼間の仕事に就くよう勧めても、八重子さんは迷惑をかけたくないとホステスをやめなかったことからも、気丈な性格なのが伺われます。
また八重子さんは大変な子供好きでもあったそうです。
田口八重子の長女の娘と息子
田口八重子さんには子供が2人いて、長女の名前は不明ですが弟の名前は耕一郎さんといいます。
八重子さんの失踪後、長女(当時2歳)は田口家の2番目の姉にひきとられ、耕一郎さん(当時1歳)は八重子さんの兄の飯塚繁雄さんにひきとられて成長します。この時繁雄さんは「ラーメンを半分ずつにしてでも育てよう」と決意されたそうです。
繁雄さんの家には当時9歳・8歳・7歳になる子供らが存在しましたが、繁雄さんが事情を話して耕一郎さんが大人になるまで秘密にしてくれと頼み、分け隔てなく養育しています。その繁雄さんは拉致被害者の家族会代表を長くつとめていましたが、2021年12月18日に83歳で死去されています。
2023年現在、八重子さんの失踪から45年経っているので長女は47歳で耕一郎さんは46歳の計算になります。
現在耕一郎さんは繁雄さんと同様に拉致被害者家族会のメンバーとして活動しており、「家族は高齢化しているので解決は今しかない」と政府に帰国に向けた取り組みを求めています。
まとめ
以上、田口八重子さんの美貌と今についてと、子供たちと生い立ちを調べました。
田口八重子さんは西洋的な美貌の持ち主で今は北朝鮮の元和里(ウォンファり)に監視下のもと生活していると思われます。子供は娘と息子の耕一郎さんがいます。八重子さんは1955年に埼玉県で4番目の末っ子として生まれています。
田口八重子さんについては、調べれば調べるほど胸がつぶれる思いがしました。まだ1歳と2歳のお子さんと離れ離れにされた八重子さんはたまらなかったと思いますし、あまりにも理不尽すぎる運命のような気がします。
子ども好きな八重子さんは北朝鮮でも地村家や蓮池家をおとずれて、仰向けになって寝そべって子供たちを自分の手足にのせて飛行機あそびをしてくれていたそうです。また八重子さんはときおり北朝鮮の子供たちが遊んでいるのをうっとりと見入っていたとも言われています。八重子さんが一日も早く子供たちと再会できることを願うばかりです。